今年の左義長祭りは、3月15日(土)・16日(日)雨の降る中で行われました。私は、他に用事があったのと雨でのぬかるみを懸念して、見には行きませんでした。テレビでの放映を見ると16日(日)の左義長への奉火はいつもの通り盛大に行われていました。
左義長の山車を知って貰うために、旧伴家住宅に実物大の山車が展示されています。それを紹介します。
旧伴家住宅は、江戸時代に京街道と新町通りの角地に建てられました。3階建ての建物です。
「伴庄右衛門」が本家として建てた商家です。地震にあって崩壊したため、地震に強い建物とするため、太い柱や梁、桁を使った豪壮な建物になっています。


江戸時代2階建てを建てることは許されなかったのですが、3階建てを建てられたと言う事は、当時の八幡商人の力によるものと考えられます。京街道側から見ると2階建ての様に見える構造なのは、やはり代官さん達に少し遠慮したのではと考えられています。
京街道側は、朝鮮人街道とも呼ばれていて、朝鮮から「朝鮮通信使」一行がこの道を通って江戸まで国賓として通っていたことから
呼ばれるようになりました。

旧伴家住宅の中に「左義長の山車」が飾られています。

左義長保存会の皆さんが、2年に1回その年の左義長を製作し飾っています。今年の干支の蛇の山車になっています。
左義長の山車は、1.その年の干支を表すものを作る。2.食べられる物、縁起のいい物を使って作る。3.作った干支の飾りには「謂れ」を表すことにする などの決まりがあります。


これらの飾りから山車を奉火することが出来るのです。山車は何か月もかけて構想・材料集め・製作をして行きます。山車造りから奉火に至る祭りが、天下の奇祭といわれる由縁です。
旧伴家住宅の道路を隔てた向かいに、「文化伝承館」があります。
ここには、左義長祭りの山車の模型や過去の祭りの資料等が展示されています。必見の価値ありです。

左義長の山車は旧伴家住宅に常設展示されています。近江八幡をご訪問頂き、ぜひご覧ください。
左義長の山車を知って貰うために、旧伴家住宅に実物大の山車が展示されています。それを紹介します。
旧伴家住宅は、江戸時代に京街道と新町通りの角地に建てられました。3階建ての建物です。
「伴庄右衛門」が本家として建てた商家です。地震にあって崩壊したため、地震に強い建物とするため、太い柱や梁、桁を使った豪壮な建物になっています。


江戸時代2階建てを建てることは許されなかったのですが、3階建てを建てられたと言う事は、当時の八幡商人の力によるものと考えられます。京街道側から見ると2階建ての様に見える構造なのは、やはり代官さん達に少し遠慮したのではと考えられています。
京街道側は、朝鮮人街道とも呼ばれていて、朝鮮から「朝鮮通信使」一行がこの道を通って江戸まで国賓として通っていたことから
呼ばれるようになりました。

旧伴家住宅の中に「左義長の山車」が飾られています。

左義長保存会の皆さんが、2年に1回その年の左義長を製作し飾っています。今年の干支の蛇の山車になっています。
左義長の山車は、1.その年の干支を表すものを作る。2.食べられる物、縁起のいい物を使って作る。3.作った干支の飾りには「謂れ」を表すことにする などの決まりがあります。


これらの飾りから山車を奉火することが出来るのです。山車は何か月もかけて構想・材料集め・製作をして行きます。山車造りから奉火に至る祭りが、天下の奇祭といわれる由縁です。
旧伴家住宅の道路を隔てた向かいに、「文化伝承館」があります。
ここには、左義長祭りの山車の模型や過去の祭りの資料等が展示されています。必見の価値ありです。

左義長の山車は旧伴家住宅に常設展示されています。近江八幡をご訪問頂き、ぜひご覧ください。
2月25日に行われた菅原神社の「火渡り神事」を見に行きました。
毎年、菅原道真公の命日の2月25日に行われる珍しい神事(祭り)です。
菅原神社は、野洲市永原にあり「菅原天神」とも呼ばれ、学問の神様
「菅原道真公」が祀られています。室町時代には、連歌や和歌の会が盛んに行われ、藤原定家や宗祇といった名高い歌人が訪れたとの事です。その中には、北村季吟の姿もあったと伝えられます。

菅原神社の門柱

菅原神社の門
鎌倉時代から続く護摩木を燃やす神事に、41年前から裸足で火床を渡る行事が加わり。全国的にも珍しい奇祭として知られています。

護摩木を境内に積み、火を付けて燃やします。お経を唱えながら燃やして行きます。

燃え尽きるころ、竹の棒で広げながら火床を作ります。
その間、太鼓を打ち鳴らし続けます。

火床の火が消え、熱さが少し収まったころ、菅原道真公をかたどった木彫を抱いた宮司さんが、裸足で火床の上を歩いて渡ります。

その後、火渡りを申し込んだ人々が、宮司さんの励ましを受けながら順番に裸足で火床の上を歩いて渡ります。無病息災や家内安全を祈願します。

やはり熱いそうです。それでも滅多にない経験なので嬉しそうでした。

歩き終わった後、両足を墨に乗せあらかじめ登録していた住所・名前の書いたお札の上に置いて足形を取ります。
この「足形守」を持ち帰り、寝室に飾ることで願いが叶うとされているそうです。
いつか見に行きたいと思っていた、この「火渡り神事」を見ることができ願いが叶ったいい一日になりました。
毎年、菅原道真公の命日の2月25日に行われる珍しい神事(祭り)です。
菅原神社は、野洲市永原にあり「菅原天神」とも呼ばれ、学問の神様
「菅原道真公」が祀られています。室町時代には、連歌や和歌の会が盛んに行われ、藤原定家や宗祇といった名高い歌人が訪れたとの事です。その中には、北村季吟の姿もあったと伝えられます。

菅原神社の門柱

菅原神社の門
鎌倉時代から続く護摩木を燃やす神事に、41年前から裸足で火床を渡る行事が加わり。全国的にも珍しい奇祭として知られています。

護摩木を境内に積み、火を付けて燃やします。お経を唱えながら燃やして行きます。

燃え尽きるころ、竹の棒で広げながら火床を作ります。
その間、太鼓を打ち鳴らし続けます。

火床の火が消え、熱さが少し収まったころ、菅原道真公をかたどった木彫を抱いた宮司さんが、裸足で火床の上を歩いて渡ります。

その後、火渡りを申し込んだ人々が、宮司さんの励ましを受けながら順番に裸足で火床の上を歩いて渡ります。無病息災や家内安全を祈願します。

やはり熱いそうです。それでも滅多にない経験なので嬉しそうでした。

歩き終わった後、両足を墨に乗せあらかじめ登録していた住所・名前の書いたお札の上に置いて足形を取ります。
この「足形守」を持ち帰り、寝室に飾ることで願いが叶うとされているそうです。
いつか見に行きたいと思っていた、この「火渡り神事」を見ることができ願いが叶ったいい一日になりました。
今年になって既に半月を過ぎましたが、あらためて あけまして
おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年は、最低
月1回の更新を目指します。
1月8日に行われた「魔蛇羅講」(まじゃらこ)に行ってきました。
近江八幡市安土町西老蘇の鎌若宮神社の祭礼行事です。
無病息災、五穀豊穣を願って毎年1月8日に行われています。
勧請縄にツバキの葉や枝で編んだ輪を据え、輪の中にある木札が割れるまで小石を投げるという行事です。

鎌若宮神社です。

本殿です。

本殿です。

鎌若宮神社の近くにある農業倉庫に設置された「魔蛇羅講」です。
ここで神事が行われます。西老蘇では勧請縄のことをマジャラコと言います。

「魔蛇羅講」には「天下泰平」の木札が飾られています。

神事が終わると子ども達が「魔蛇羅講」を担いで鎌若宮神社をめざします。先頭が蛇の頭です。

蛇のしっぽまで手分けして担いで行きます。

魔蛇羅講(勧請縄)を鎌若宮神社の境内の木に渡す準備をします。

鎌若宮神社の境内の両脇の大きな木に、魔蛇羅講を渡して勧請縄とします。この写真では「天下泰平」の木札は見えていませんが、両脇の木に括りつける時に上に跳ね上がっていたものと思われます。
小勧請縄は12本下がっています。(閏年は13本)

神社の拝殿前でお祓いを受けた後、子ども達が魔蛇羅講の前に集まって来ます。

小学校1年生から順番に小石を天下泰平の木札めがけて投げます。

今年は小学校3年生の男の子が投げた小石が、見事木札に当たり真っ二つに割れました。かなり割れるのが早かったようです。
割った子どもは1年間健康であるとされています。主役は子どもで
子どもの健康を祈る行事です。
見たいと思っていた「魔蛇羅講」を見る事ができ、幸先良い1年になりそうです。
今年も風景・祭り・神社仏閣・遺跡をキーワードにして、
近江の国を巡って行きたいと思います。
おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年は、最低
月1回の更新を目指します。
1月8日に行われた「魔蛇羅講」(まじゃらこ)に行ってきました。
近江八幡市安土町西老蘇の鎌若宮神社の祭礼行事です。
無病息災、五穀豊穣を願って毎年1月8日に行われています。
勧請縄にツバキの葉や枝で編んだ輪を据え、輪の中にある木札が割れるまで小石を投げるという行事です。

鎌若宮神社です。

本殿です。

本殿です。

鎌若宮神社の近くにある農業倉庫に設置された「魔蛇羅講」です。
ここで神事が行われます。西老蘇では勧請縄のことをマジャラコと言います。

「魔蛇羅講」には「天下泰平」の木札が飾られています。

神事が終わると子ども達が「魔蛇羅講」を担いで鎌若宮神社をめざします。先頭が蛇の頭です。

蛇のしっぽまで手分けして担いで行きます。

魔蛇羅講(勧請縄)を鎌若宮神社の境内の木に渡す準備をします。

鎌若宮神社の境内の両脇の大きな木に、魔蛇羅講を渡して勧請縄とします。この写真では「天下泰平」の木札は見えていませんが、両脇の木に括りつける時に上に跳ね上がっていたものと思われます。
小勧請縄は12本下がっています。(閏年は13本)

神社の拝殿前でお祓いを受けた後、子ども達が魔蛇羅講の前に集まって来ます。

小学校1年生から順番に小石を天下泰平の木札めがけて投げます。

今年は小学校3年生の男の子が投げた小石が、見事木札に当たり真っ二つに割れました。かなり割れるのが早かったようです。
割った子どもは1年間健康であるとされています。主役は子どもで
子どもの健康を祈る行事です。
見たいと思っていた「魔蛇羅講」を見る事ができ、幸先良い1年になりそうです。
今年も風景・祭り・神社仏閣・遺跡をキーワードにして、
近江の国を巡って行きたいと思います。
12月初めにマキノ高原メタセコイアの並木道に行ってきました。
実に素晴らしい紅葉の並木道を見る事が出来、感動しました。
延長約2.4Km、約500本のメタセコイアが両側に続いており、素晴らしい眺めでした。初めて行ったので目を奪われました。
この並木道は、平成6年 読売新聞社の「新・日本街路樹百景」に
選定されています。


並木がトンネル状になっている所や高木が両側に連なっている所が
あり、実に壮観でした。
この並木道は、昭和56年 学童農園「マキノ土に学ぶ里」整備事業の一環として、マキノ町果樹生産組合が植えたのが始まりだそう
です。
メタセコイアは、中国原産ヒノキ科の落葉高木で、和名は
「アケボノスギ」といいます。最大樹高が115mにも及ぶセコイアにその姿が似ていることから、メタ(変形)セコイアとよばれているとの事です。



四季折々に素晴らしい景観を見せるこの並木です。冬は雪が多いことからなかなか見に行きにくいですが、春、夏はみどり一色の紅葉と違った美しさを見せてくれるとの事です。
春あるいは夏になったらもう一度見に行きたいと思いました。
実に素晴らしい紅葉の並木道を見る事が出来、感動しました。
延長約2.4Km、約500本のメタセコイアが両側に続いており、素晴らしい眺めでした。初めて行ったので目を奪われました。
この並木道は、平成6年 読売新聞社の「新・日本街路樹百景」に
選定されています。


並木がトンネル状になっている所や高木が両側に連なっている所が
あり、実に壮観でした。
この並木道は、昭和56年 学童農園「マキノ土に学ぶ里」整備事業の一環として、マキノ町果樹生産組合が植えたのが始まりだそう
です。
メタセコイアは、中国原産ヒノキ科の落葉高木で、和名は
「アケボノスギ」といいます。最大樹高が115mにも及ぶセコイアにその姿が似ていることから、メタ(変形)セコイアとよばれているとの事です。



四季折々に素晴らしい景観を見せるこの並木です。冬は雪が多いことからなかなか見に行きにくいですが、春、夏はみどり一色の紅葉と違った美しさを見せてくれるとの事です。
春あるいは夏になったらもう一度見に行きたいと思いました。
12月初めにマキノ高原のメタセコイア並木の紅葉を見に行って来ました。噂に違わず見事な紅葉でした。初めて行ったので、こんなに素晴らしい紅葉がここにもあったのかと感動しました。
御猟野乃杜(みかりののもり)賀茂神社(かもじんじゃ)は近江八幡市
加茂町にあります。奈良時代の736年(天平8年)に聖武天皇によって創建されました。
約1350年前に、天智天皇が「これからは騎乗技術の発展と馬匹の繁殖が大事だ」と考え、賀茂神社の地に国営牧場を築き、馬の調教と繁殖に力を注がれました。
この地に、日本初の国営牧場が開かれたことから、創建当初より馬との関りが深く、「馬の聖地」として崇敬されています。


境内には、霊木「連理の眞榊」があります。古木百選の一つで、二本の榊が一本に結ばれた、縁結び・子授け・安産等の霊験ある榊といわれています。

また、霊木「樫」があります。雷が落ち。皮一枚になったにも関わらず、現在も成長し続ける霊力ある樫です。

霊木「神杉」は樹齢800年といわれており、白蛇が住んでおり、これを見ると幸せになるといわれています。残念ながら大木は倒れ、新たに若い木が生えて来ています。

拝殿があり、ここからお参りをします。

本殿は南西の裏鬼門向きに造営されています。人々の災苦を封じる社と言われています。


本殿を過ぎて、奥へ進むと木立のある杜があります。

さらにその奥に御旅所があります。賀茂大神が森の霊威を受けられ再生される場所で、霊威の顕れる場所とされています。

例年5月6日以降の最初の日曜日に、「加茂祭」と呼ばれる例祭が行われます。
この行事は、二頭の馬が同時に疾走して速さを競う儀式で、日本の競馬の原点とも言われるもので、平安時代の宮中の競馬儀式が、今も引き継がれています。境内の馬場は直線400メートル、幅10メートルです。二頭の馬が疾走する姿は迫力があります。一見の価値ありです。「足伏送馬(あしふせそうめ)」と呼ばれています。

県道2号線沿いには、「足伏送馬」の銅像があり、「加茂祭」のPRをしています。
他にもいろいろみどころはありますが、あまり長くなるので今日はこの辺で終了とします。
さらにゆっくり見に行きたいいい神社でした。
加茂町にあります。奈良時代の736年(天平8年)に聖武天皇によって創建されました。
約1350年前に、天智天皇が「これからは騎乗技術の発展と馬匹の繁殖が大事だ」と考え、賀茂神社の地に国営牧場を築き、馬の調教と繁殖に力を注がれました。
この地に、日本初の国営牧場が開かれたことから、創建当初より馬との関りが深く、「馬の聖地」として崇敬されています。


境内には、霊木「連理の眞榊」があります。古木百選の一つで、二本の榊が一本に結ばれた、縁結び・子授け・安産等の霊験ある榊といわれています。

また、霊木「樫」があります。雷が落ち。皮一枚になったにも関わらず、現在も成長し続ける霊力ある樫です。

霊木「神杉」は樹齢800年といわれており、白蛇が住んでおり、これを見ると幸せになるといわれています。残念ながら大木は倒れ、新たに若い木が生えて来ています。

拝殿があり、ここからお参りをします。

本殿は南西の裏鬼門向きに造営されています。人々の災苦を封じる社と言われています。


本殿を過ぎて、奥へ進むと木立のある杜があります。

さらにその奥に御旅所があります。賀茂大神が森の霊威を受けられ再生される場所で、霊威の顕れる場所とされています。

例年5月6日以降の最初の日曜日に、「加茂祭」と呼ばれる例祭が行われます。
この行事は、二頭の馬が同時に疾走して速さを競う儀式で、日本の競馬の原点とも言われるもので、平安時代の宮中の競馬儀式が、今も引き継がれています。境内の馬場は直線400メートル、幅10メートルです。二頭の馬が疾走する姿は迫力があります。一見の価値ありです。「足伏送馬(あしふせそうめ)」と呼ばれています。

県道2号線沿いには、「足伏送馬」の銅像があり、「加茂祭」のPRをしています。
他にもいろいろみどころはありますが、あまり長くなるので今日はこの辺で終了とします。
さらにゆっくり見に行きたいいい神社でした。

長い間行きたいと思っていた老蘇の森・奥石神社へ行ってきました。
私一人しかいなくて、静かで厳かな雰囲気の中をゆっくり見て回り
いい時間を過ごしました。

参道の両脇に高い木が並び、左には森が広がっており「老蘇の森」を感じられました。御神木杉がそびえていました。



参道を進んでいくと拝殿がありました。
続いて本殿があり、優美な建造物だなと思いました。

庭には池もあり静かな雰囲気でした。
「老蘇の森」は、昔、この地は地が裂け、水が湧いて人が住める土地ではなかったが、石辺大連(いしべのおおむらじ)が木々(杉・松・桧など)の苗を植えて神々に祈願すると大森林となった。石部大連は
百数十歳まで生きながらえたので、「老蘇」の森と称されるように
なった。
老蘇の森は、郭公(ホトトギス)歌枕となっており、文人たちが多くの歌をのこしている。
東路の思い出にせむ 郭公(ほととぎす) おいそのもりの
夜はのひとこえ (大江 公資)
郭公(ホトトギス) なお一声は思い出よ おいその杜の
夜はのの昔を (藤原 範光)
私一人しかいなくて、静かで厳かな雰囲気の中をゆっくり見て回り
いい時間を過ごしました。
参道の両脇に高い木が並び、左には森が広がっており「老蘇の森」を感じられました。御神木杉がそびえていました。
参道を進んでいくと拝殿がありました。
続いて本殿があり、優美な建造物だなと思いました。
庭には池もあり静かな雰囲気でした。
「老蘇の森」は、昔、この地は地が裂け、水が湧いて人が住める土地ではなかったが、石辺大連(いしべのおおむらじ)が木々(杉・松・桧など)の苗を植えて神々に祈願すると大森林となった。石部大連は
百数十歳まで生きながらえたので、「老蘇」の森と称されるように
なった。
老蘇の森は、郭公(ホトトギス)歌枕となっており、文人たちが多くの歌をのこしている。
東路の思い出にせむ 郭公(ほととぎす) おいそのもりの
夜はのひとこえ (大江 公資)
郭公(ホトトギス) なお一声は思い出よ おいその杜の
夜はのの昔を (藤原 範光)
滋賀県守山市の下之郷遺跡(弥生のタイムカプセル)に行ってきました。下之郷遺跡は、「環濠」と呼ばれる大きな溝がムラのまわりを囲んでいて、約25haもある巨大な集落跡という事です。
その中心部では、さらに溝で四角に区切った場所があり、そこから
大きな建物や井戸跡が発見されました。
環濠やその周辺では、銅剣や戈の柄(かのえ)、弓、盾などの武器がたくさん見つかることから、当時の国の中心地が下之郷遺跡だったと考えられるという事です。

ここは、展示館です。出土した土器や当時の服の機織り、ビデオに
よる遺跡の紹介などがあります。

館内ではビデオによる遺跡の解説もあります。
展示館の外に出ると環濠の遺構が残っていました。





ビデオでは環濠の全体像が紹介されていました。

また、環濠の周りの植生も紹介されていました。

弥生時代の遺跡で、「弥生のタイムカプセル」と呼ばれる意味が良く解る珍しい遺跡だと思いました。
これからも遺跡巡りを続けて行こうと思っています。
その中心部では、さらに溝で四角に区切った場所があり、そこから
大きな建物や井戸跡が発見されました。
環濠やその周辺では、銅剣や戈の柄(かのえ)、弓、盾などの武器がたくさん見つかることから、当時の国の中心地が下之郷遺跡だったと考えられるという事です。
ここは、展示館です。出土した土器や当時の服の機織り、ビデオに
よる遺跡の紹介などがあります。
館内ではビデオによる遺跡の解説もあります。
展示館の外に出ると環濠の遺構が残っていました。
ビデオでは環濠の全体像が紹介されていました。
また、環濠の周りの植生も紹介されていました。
弥生時代の遺跡で、「弥生のタイムカプセル」と呼ばれる意味が良く解る珍しい遺跡だと思いました。
これからも遺跡巡りを続けて行こうと思っています。
7月21日に開催された近江八幡市浅小井町の「浅小井祇園祭」を見に行きました。現在6基の曳山が伝承されていて、日野・水口型と呼ばれる「飾り山」です。曳山の上部は露天でダシと呼ばれる作り物と依り代の小ぶりの松が飾られています。ダシはその年の干支の飾り物が作られる場合が多く、今年は辰年にちなんだ辰(龍)の飾り物が飾られていました。
「曳山とイ草の館」の近くに、曳山の収蔵庫がありました。

6基の曳山の名称は、「五条ノ木山」「東出山」「北出山」「平田
出山」「西出山」「野瀬出山」です。それぞれ、作られた年代も
いろいろですが豪華な山車と飾り物で出来ていました。


「曳山とイ草の館」を出た曳山は、タイヤの車で町内を巡行し今宮天満宮の境内にある「津島神社」へ行きます。


木の車輪では重くて沢山の人でないと動かせなくなってきている為、
タイヤにして動きやすくしているそうです。
今宮天満宮の境内に勢揃いした山車は圧巻です。



浅小井祇園祭は、愛知県の津島神の祭りであり、疫病除けの意味があるとの事です。
勢揃いした山車の前で笛や太鼓などの祇園囃子が奉納されました。
その後、「曳山とイ草の館」へ還るとき「餅撒き」があり山車の上から餅やお菓子が撒かれました。子ども、大人も餅拾いに興じていました。
還りの山車には、子ども達が乗せて貰っていい笑顔で還って行きました。いい祭りだなと思いました。

「曳山とイ草の館」の近くに、曳山の収蔵庫がありました。

6基の曳山の名称は、「五条ノ木山」「東出山」「北出山」「平田
出山」「西出山」「野瀬出山」です。それぞれ、作られた年代も
いろいろですが豪華な山車と飾り物で出来ていました。


「曳山とイ草の館」を出た曳山は、タイヤの車で町内を巡行し今宮天満宮の境内にある「津島神社」へ行きます。


木の車輪では重くて沢山の人でないと動かせなくなってきている為、
タイヤにして動きやすくしているそうです。
今宮天満宮の境内に勢揃いした山車は圧巻です。



浅小井祇園祭は、愛知県の津島神の祭りであり、疫病除けの意味があるとの事です。
勢揃いした山車の前で笛や太鼓などの祇園囃子が奉納されました。
その後、「曳山とイ草の館」へ還るとき「餅撒き」があり山車の上から餅やお菓子が撒かれました。子ども、大人も餅拾いに興じていました。
還りの山車には、子ども達が乗せて貰っていい笑顔で還って行きました。いい祭りだなと思いました。


6月の初めに開催された「むしゃりんどう」の展示会に行ってきました。
「むしゃりんどう」はりんどうの花に似たシソ科の多年草で、近江八幡市武佐町で自生種が発見されたことから名づけられた伝えられています。近江八幡の「初夏の花」に制定されています。
武佐コミニュニティセンターを中心にお寺の境内などに展示されていました。
紫・白・淡いピンクの花が、可憐に咲いていました。花を求めて各地を回るのもいいものだと思いました。

いろいろの花の鉢が展示されていました。満開にはまだ少し早いような鉢もありました。

紫の花が綺麗です。確かにりんどうに似ています。


白の花も綺麗に咲いています。
「むしゃりんどう」はりんどうの花に似たシソ科の多年草で、近江八幡市武佐町で自生種が発見されたことから名づけられた伝えられています。近江八幡の「初夏の花」に制定されています。
武佐コミニュニティセンターを中心にお寺の境内などに展示されていました。
紫・白・淡いピンクの花が、可憐に咲いていました。花を求めて各地を回るのもいいものだと思いました。

いろいろの花の鉢が展示されていました。満開にはまだ少し早いような鉢もありました。

紫の花が綺麗です。確かにりんどうに似ています。


白の花も綺麗に咲いています。