左義長祭りの山車

2025年03月26日

Posted by 夢追い人 at 14:52 │Comments( 0 )
今年の左義長祭りは、3月15日(土)・16日(日)雨の降る中で行われました。私は、他に用事があったのと雨でのぬかるみを懸念して、見には行きませんでした。テレビでの放映を見ると16日(日)の左義長への奉火はいつもの通り盛大に行われていました。
 左義長の山車を知って貰うために、旧伴家住宅に実物大の山車が展示されています。それを紹介します。
 旧伴家住宅は、江戸時代に京街道と新町通りの角地に建てられました。3階建ての建物です。
「伴庄右衛門」が本家として建てた商家です。地震にあって崩壊したため、地震に強い建物とするため、太い柱や梁、桁を使った豪壮な建物になっています。
左義長祭りの山車

左義長祭りの山車

江戸時代2階建てを建てることは許されなかったのですが、3階建てを建てられたと言う事は、当時の八幡商人の力によるものと考えられます。京街道側から見ると2階建ての様に見える構造なのは、やはり代官さん達に少し遠慮したのではと考えられています。
 京街道側は、朝鮮人街道とも呼ばれていて、朝鮮から「朝鮮通信使」一行がこの道を通って江戸まで国賓として通っていたことから
呼ばれるようになりました。
左義長祭りの山車

旧伴家住宅の中に「左義長の山車」が飾られています。
左義長祭りの山車

左義長保存会の皆さんが、2年に1回その年の左義長を製作し飾っています。今年の干支の蛇の山車になっています。
 左義長の山車は、1.その年の干支を表すものを作る。2.食べられる物、縁起のいい物を使って作る。3.作った干支の飾りには「謂れ」を表すことにする などの決まりがあります。
左義長祭りの山車

左義長祭りの山車

これらの飾りから山車を奉火することが出来るのです。山車は何か月もかけて構想・材料集め・製作をして行きます。山車造りから奉火に至る祭りが、天下の奇祭といわれる由縁です。
旧伴家住宅の道路を隔てた向かいに、「文化伝承館」があります。
ここには、左義長祭りの山車の模型や過去の祭りの資料等が展示されています。必見の価値ありです。
左義長祭りの山車

左義長の山車は旧伴家住宅に常設展示されています。近江八幡をご訪問頂き、ぜひご覧ください。



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